一大決心をして転職へ
「今年のレタスはめちゃめちゃいいです!」と、静岡県菊川市で「株式会社弓削農園」を経営する弓削敦さん。野菜くらぶの独立支援プログラムの農業研修を経て独立し、2026年で12年目を迎えました。「1年目に何もできなかった自分が12年後にどんなレタスを作れるようになったか、とても楽しみでした」と声が弾みます。
弓削さんは、東京都武蔵野市出身、東京生まれの東京育ちです。サラリーマンの父と専業主婦の母に育まれ、東京の大学を卒業し、大道具関係の会社に就職しました。仕事はコンサートのステージの製作や、ディズニーランドのイベントの準備などです。「忙しい日々を過ごしましたが、エンターテイメントの世界で働き、仕事内容は充実し収入も十分で、とても魅力的な職場でした」と振り返ります。
就職して10年が過ぎた2011年3月11日、東日本大震災が発生します。停電が起こり交通網が混乱し、コンサートなどは中止され、大道具が必要な仕事はすべてなくなり、会社を往復するだけの生活がしばらく続きました。それでも2、3か月がたつと、次々と復興コンサートが開催され、仕事は以前にも増して忙しくなります。残業時間の上限規制などまだなかった頃のことです。朝9時半に会社へ行き、翌日の早朝に家へ帰り、またすぐに仕事に出かける、という毎日が続きました。
その頃、結婚して子どもが生まれていた弓削さんは、家族と過ごす時間がほとんどないことに悩み始めました。大好きな二人に会えないし、これから子供が大きくなっても、授業参観や運動会などの学校行事にも参加できないのではないかと。そうして家族と一緒に過ごせる時間がとれるような仕事がしたいと思うようになりました。
また、弓削さんは、震災が発生し、福島第一原子力発電所で事故が起こった時の食料品の扱いを思い出していました。放出された放射性物質が田畑を汚染し、その地域で生産された米や野菜などの農産物や海産物からは基準値を超える放射性物質が検出され、出荷の制限や自粛がありました。その後の風評被害も長く続きます。弓削さんはそう遠くない未来に、食べ物に困る時代が来るのではないかと、漠然とした不安を抱くようになりました。
そこで、自分で食べ物を生産する仕事をしよう、それも、自分の意志を反映できるような立場で仕事がしたいと考えました。「漁師も候補にありましたが、漁業は海にあるものを獲りに行く仕事、農業は何もないところから作物を作る仕事です。自分の力でものを生み出す仕事に魅力を感じ、農業を選びました」
弓削さんが農業を選んだ理由は、もう一つあります。まだ大道具製作の仕事をしていた頃、ラジオ番組で、山梨県中央市にある農業法人「サラダボウル」の創業者、田中進さんの話を聞いたことです。「田中さんは生命保険会社で抜群の営業成績を誇っていましたが、人の役に立つ仕事がしたいと、農業を始めたことを知り衝撃を受けました。大道具を作る仕事は人を喜ばせることはできますが、震災の時に仕事がなくなってしまったように、自分の意志だけではコントロールできない場合があります。どんな時でも周りに左右されず、人の役に立っていると感じられるような仕事をしたいと思いました」
こうして、弓削さんはそれまでの仕事をやめ、農業への挑戦を始めます。しかし、家族がいて、安定した収入がある仕事から離れるに当たっては、周囲の反対もありました。「義父に、『もう一回ちゃんと考えたら』と言われた時の顔が忘れられません。でも今では、自分が作ったトウモロコシを『おいしいねえ』と言って食べていますよ」、と笑います。
独立への一筋の想い
弓削さんは、まず、サラダボウルでの研修に入りました。作業を続けて1か月ほどたった頃、同社の人材育成の仕事をすすめられます。10年以上のサラリーマン時代の経験を活かし、若い従業員の教育をしてくれないか、との要請でした。しかし弓削さんは、農家になり独立することを目標にしていると伝えます。その想いを受け止めた田中さんは、「農業は地域に根差している職業だから、どういう土地で働きたいかを考えて研修場所を決めた方がいいですよ」と助言します。弓削さんは海がある所に住みたいと思っていたので、千葉県、茨城県、静岡県で農業ができる土地を探しました。
こうしてたどり着いたのが、静岡県菊川市で深川知久さんが経営する「ソイルパッション」でした。弓削さんが独立を目標にしていることを知った深川さんは、自身も研修した野菜くらぶの独立支援プログラムを紹介します。弓削さんは群馬県昭和村にある野菜くらぶへ行き、代表取締役の澤浦彰治さんに会いました。一刻も早く農家になり独立したいと伝えると、「1年間、研修を受けて下さい。自立して安定した経営ができる農家になれます」と言われました。
弓削さんはさっそく研修に入ります。2013年6月より群馬県昭和村の農家、阿部順一さん、10月より深川さんの元で、農作業の段取りに合わせて一緒に作業をしながら、農家の一日の時間の使い方や体の動かし方、従業員との接し方などを身に付けました。1年後の14年7月に早くも就農、「株式会社弓削農園」を設立します。「栽培技術を手取り足取り教えてもらう研修ではなかったので、とにかく自分で作らなければ何もわからないと思いました。前の仕事の経験から、うまくいったことも失敗したことも、自分の問題としてとらえることが大事だということを知っていたので、たとえ何ひとつできなくても、早く自分で試してみたかったのです」
しかし、見よう見まねで栽培を始めた弓削さんは、現実を知ります。種をまき、定植して収穫するという作業を行ったことはありますが、それでよいレタスができるわけではありません。見るに見かねて助け舟を出したのが、菊川市で「(株)やさいの樹」を経営する塚本佳子さん。弓削さんと同じように、野菜くらぶの独立支援プログラムを経て、2008年に独立した大先輩の農家です。次の生産につながるようにと、その時期のレタスの最終収穫に合わせて肥料設計などをつきっきりで教えました。
弓削農園は、独立後の4年間は赤字経営でした。そこで5年目に入る時、弓削さんは、野菜くらぶの専務取締役毛利嘉宏さんに、今年も赤字なら農業をやめる覚悟で取り組みますと、決意を宣言します。すると努力が実り黒字に転換し、その後順調な経営が続いています。「何も作れなかった時期に、仕事をやめて農家になって借金を抱えて、とんでもないことをしちゃったかもしれないと、妻に言ったことがあります。その時返ってきた言葉が『大丈夫だよ、だってこんなに一生懸命やってるんだもん』の一言でした。救われたし、今でも感謝しています」と、弓削さんは振り返ります。
100点満点の栽培を
設立より12年が経つ弓削農園は、働く人の入れ替わりがありましたが、現在は弓削さんと妻とパートさん2人の、最初の経営スタイルに戻りました。出荷する野菜はレタスの他に、ミニ白菜、キャベツ、トウモロコシ、枝豆など。その他にもスイカ、カボチャ、ジャガイモ、オクラなどを作ります。「田んぼもあるので1年中忙しいです。こんなに走っている48歳なんて、見たことないですよね」と笑います。
弓削さんは自然の環境に適応させていく露地栽培に魅力を感じています。「露地栽培は天候の影響を直接に受けます。たとえばレタスは気温の変化にとても敏感で、寒波が来ると成長が止まってしまいます。ビニールのトンネルを張り保温しますが、そのタイミングを考えながら作業することにも面白さを感じます」。
さらに、目指しているのは、100点満点の栽培をすることです。「100点満点とは、100粒の種をまいた時、100個のレタスを出荷できるように育てること。そのためには、一つ一つの作業がその先の収穫までつながっていると想像しながら仕事をすることが大切です」。経営規模が小さく、従業員やパートの人といっしょに作業し、自分の要望を常に伝えることができるからこその目標だと言います。
また、「野菜くらぶでは、外国から来る技能実習生と一緒に仕事をする農家が多いですが、自分はまだその時期ではありません」と言います。「レタスの栽培はとてもデリケートな作業の積み重ねです。それを自分は日本人のパートさんにも満足に伝えることができていません。技能実習生を受け入れることは、まだ無理だと思っています」
大規模経営ではなくても、自分の農業に対する想いを理解する人たちと仕事をし、大好きな家族と過ごす時間を持てる今が、とても幸せだと言います。
仕事への誇り
弓削さんは、東日本大震災が発生した15年前、いつか食べ物が無くなる時代が来るのではないかという漠然とした不安を抱きました。それが今、現実のものとなってきたと感じています。気候が変わり、毎年集中豪雨や猛暑、旱魃などの異常気象が発生し、農産物の生産に大きな影響を与えています。全国では農家の高齢化や後継者不足などのため、農業人口が減り続けています。「お金を出しても食べ物を買えなくなる時が来ても、農家は何も心配はありません。自分が食べるものだけではなく、消費者に提供する作物を生産することができる農業という仕事は、どんなに小規模でも特別な存在だと思っています」と、自分の仕事に誇りを持っています。「一番嬉しいのは、自分が作った野菜が毎日の食卓にのっていることです。食べたい野菜を作り、それを食べたいと言う人と分け合うことに喜びを感じます」。
弓削さんは群馬で研修を受けていた時、野菜くらぶの設立メンバーの一人である、昭和村の農家、林美之さんからかけられた言葉を忘れられません。「お金は後からついてくるものです。大事なことは、あなたが畑でどれだけ一生懸命働いたかということですよ」。今でも心の支えとなっている言葉です。
「自分が作った作物には、それまでの努力や想いが全部詰め込まれています。食べる人に、それを感じてもらえたら幸せだなあと思います」。弓削さんは、消費者とのつながりを大事にしながら、この仕事を続けていきたいと思っています。



























