情熱!農業人独立ストーリー 独立支援プログラム先輩たちの道のり2 第3期生・矢口岳夫物語「人間、どこでも生きられる」

青森移住2年目にして訪れた、厳しい試練

8月に移植した苗は、育ちが悪い
傷んだ苗が多く、欠株が出ている

「一生の間にはいい思い出になるよ、がんばれ」。竹内功二(野菜くらぶ取締役)のさりげないひとことに、矢口さんの表情が少し和らぎました。今夏(2009年)の青森は2~3日おきにまとまった雨が降り、日照時間は平年の70%前後。7月上旬から1ヵ月ほどそんな天候が続いたため、レタスは非常に厳しい結果となりました。「とにかく畑に入れないんです。昨年は雨が降っても2~3日で乾いて作業ができた。でも今年は明日入れるかなと思うとまた雨が降って、無理にトラクターを入れれば沈んでいきました」(矢口さん)。

標高750メートルの青森県沖揚平では、7月中にレタスの移植を済ませなければなりませんが、それができませんでした。ハウスの中では移植を待つ苗が育ちすぎ、何とか畑に植えても形がそろわなかったり、丸くなるまでに時間がかかったり。日照や気温の足りない苗は病気にもかかりやすく、畑には外葉が黄色くなったり傷み始めているレタスもあります。一見健康そうに見えるレタスも食べてみ 竹内から助言を受ける矢口さん ると苦く、このようなレタスは数日もすると傷んでくるといいます。「ここはねぶた(8月上旬)が終わるともう秋ですから、8月に移植してもダメなんです」。独立4年目、青森に来て2年目の矢口さんに、厳しい試練が訪れました。


アルバイトで自分を知り、数字の世界で将来を考える

この夏のハウス
6月、天候はよかったが

矢口さんは、茨城県土浦市生まれ。会社勤めの父親のもと、農業とは無縁の家庭で育ち、小学2年から始めた剣道は中学、高校まで続けて3段に。そこで養われた体力と精神力が、雪国での農業を支えているのかもしれません。漠然と医師にあこがれていました。西洋医学と東洋医学を合わせたような医療技術に携わりたいと思っていましたが、物理と数学が苦手であえなく挫折。地元の高校を卒業すると、明治大学農学部に進みます。

ここで矢口さんは、農業経済学科を選びます。大学のホームページによると農業経済学科は、「経済学・経営学・社会学などの社会科学をベースとして、食料と環境にかかわる諸問題を総合的に考察する学科」とあります。まさに今の仕事に通じる勉強を、大学で修めたわけです。と書きたいところですが当時の矢口青年は、「アルバイトに明け暮れて、勉強はしなかったですね」。残念。しかしさまざまなアルバイトを通じて、矢口さんは自分自身を知ることになります。「一日中同じ場所で、同じ作業を延々と続ける工場のラインに並ぶのはとても苦痛でしたね。でも、焼き鳥屋はおもしろかったな。社会人のお客さんからいろんな話が聞けたし、料理の楽しさも教えてもらいました」

卒業後は地元に戻り、ハウスメーカーで営業職につきました。人の人生を左右する、大きな買い物を勧める仕事です。ハウス展示場を訪れる人たちの中から冷やかしの人と本気の人を見分け、契約に結びつけば、土地もお金も限られる中、お客さんの要望と会社の提案をすりあわせる作業が続きます。「大変ですが、完成すれば自分の提案が形として残り、最低20年はそこに住んでもらえる。やりがいはありましたね」。6年ほど勤めたところで、仕事で知り合った保険会社から誘われて転職。営業として収入は上がりましたが、世の中はちょうど景気後退の時期に入ります。契約が取りづらくなり、ノルマに追われる日々を暮らすうち、矢口さんは将来に不安を持つ こんなにきれいに、そろっていた ようになります。「このまま毎日数字に追われ続けても、30年後には定年を迎えるだけ。それより何か、手に職をつけるようなことをしたほうがよいのではないか、と思うようになり」、思い切って退社の道を選びます。


作るだけで生活できるのか、経営的にどうなのか

畑わきの林も紅葉した
沖揚では秋にとうもろこし

転機はここに訪れました。退職後、夏のアルバイトとして、全国有数のレタス産地である長野県川上村で農作業を体験したのです。「朝早くから夜まで確かに大変なんですけど、もうおもしろくて。初めて農業が、選択肢のひとつに入りましたね」。しかしすでに30代になっていた矢口さんは、農業の厳しい現実もしっかり見据えていました。その頃もちょっとした農業ブームで、雑誌には若い農業者も掲載されていましたが、それを見ても「ちゃんと生活できているのか、作るだけで大丈夫なのか、経営的にどうなのか」が気になったと言います。

4ヵ月のアルバイトを終えた矢口さんが出かけたのが、農業を志す人と農家の橋渡しをする「新農業人フェア」。野菜くらぶのブース前に立ち止まったのは、2006年初頭のことでした。「なんか臭ったのかなぁ(笑)。澤浦社長に『農業で独立したいので、農業法人に就職して何年か学びたい』と言ったら、『そんな人はうちではいらない。何年も技術を教えた社員に辞められるのは、つらいんだ。独立したいなら、独立支援プログラムがあるから』と言われたんです」。別にブースを出していた宮田徳彦さん(野菜くらぶ生産者)にも話を聞き、好印象を持った矢口さんは、2月、まだ雪の残る昭和村を訪れました。

「2月だから農作業もない。社長宅に連れて行かれて1期生の山田さんの話などを聞かされたんですが、帰ろうとしてもなかなか帰してもらえなくて…(笑)」。結局この年の4月末から寮に入り、3ヵ月ほど宮田さん宅で研修、その後11月初めまで青森で研修、再度群馬に戻り翌年1月に独立という、めまぐるしい1年を送ることになりました。就農1年後の独立に、心配はなかったのでしょうか。「たった6ヵ月しか作物を触ってなかったから、心配がないと言えばうそになる。でも多少の無理はあるにしろ、身近に経験者がたくさんいて、サポート体制はできていましたから。独立するならすべて自己責任で行うわけだし、早く自分の力でやってみたかったですね」。

なんとか群馬での独立にこぎ着け、07年はハウスの除雪やビニール張りから仕事が始まりました。しかしハウスの中で種を蒔いたものの、保温が不十分でなかなか芽が出ず、「毎日育苗(いくびょう)箱を眺めては、芽が出るのを心待ちにしていましたね」。なんだか映画『となりのトトロ』で、主人公のメイちゃんがトトロにもらったドングリの芽を待つシーンを、思い出してしまいます。しかしこちらは、30過ぎた社会人。現実が待っています。育苗から、春を待っての畑の準備、定植、施肥(せひ=肥料をやること)と、この年も無我夢中で働きました。その結果、 とても甘いので、商品化が決まった 売り上げはかろうじて赤字はまぬがれたものの、目標の約70%にとどまりました。まだまだ栽培技術も人の使い方も自信がなかったため、翌年予定していた青森行きを延期。もう1年、群馬で経験を積むことになりました。


いったいどこから湧くのかと思うくらいの虫が、いっせいに!

10月初め、すでにストーブが
来年の苗はうまく育ってくれるか

群馬で先輩たちのアドバイスを受けながらさらに1年の経験を積み、矢口さんが青森に移住したのは昨年でした。群馬から約700キロ離れた、青森県沖揚平。標高こそ昭和村と大きな違いはないものの、緯度を考慮すると、長野県の1000メートル級の山に匹敵する気候です。ここでは、沖揚に生まれ昔からレタスを作ってきた葛西さん、そして独立支援プログラム1期生の山田さんがすでにレタスを作っており、2人からアドバイスをもらいました。「ところが勧められた品種とちょっと違う、似たような品種を使ってしまった。そしたら全部裏目に出てしまって、約3反歩(約900坪)くらいの作物はダメになってしまいました」。

この年矢口さんが学んだことは、かなり多かったようです。「まず虫の発生のしかたが違う。群馬では春から夏にかけて順番に虫が発生しますが、青森は5月に雪が解けると一気に虫が発生する。群馬の感覚で少しずつ消毒していたら、7月に、"これだけの虫がいったいどこから湧くんだ"と思うくらい、わさわさと発生してきました」。8月のお盆を過ぎるともう寒くなり、9月には虫はいなくなりますが、「こいつらが越冬しないのかというと、越冬する。雪が多いでしょ。雪の下は意外に温かいんですよ。だから前年に虫を寄せ付けないような管理をしなければならない」。レタスの品種も群馬と同じものを使うことはできず、品種の選定がむずかしいと言います。「このあたりでは葛西さんと山田さんしかレタスを作っていな 横岳からの山背は半端ではない くて、種苗(しゅびょう)メーカーにもデータはないし、聞いてもわからない。北海道のデータも見たのですが、ここには山背(やませ=山からの強風)が吹く。北海道のほうが気候が穏やかで参考にならないんです」。すさまじいところです。


来年こそ、正念場。いいレタスを出荷したい、という決意で

矢口組、勢ぞろい
おいしい料理をありがとう
愛犬レンとお父さん
明日の打ち合わせをする
毎食、新鮮な野菜が食卓に

いま矢口さんは、タイからの研修生4人、矢口さんのお父さん、そして犬とともに暮らし、その様子はさながら合宿生活のよう。食事はタイの人たちに任され、毎晩、新鮮な野菜をたっぷり使ったタイ料理がテーブルに並びます。この日のメニューは、クンチャイというタイのセロリを使った炒め物、タイの揚げソーセージ、トンヤンクン風味の鳥スープなど。にんにくの香りが食欲をそそります。「おいしいですよ。つい食べ過ぎて、太っちゃうんです」と、嬉しそうな矢口さん。研修生の週一回の休みには、いっしょに黒石や弘前などへ買い物に出ることもあります。

矢口さんのお父さんは、言います。「定年退職したので手伝いに来たんですが、いやあ、何十年ぶりかに天の川を見ましたよ。それに種を蒔いていっせいに芽を出したときなんか、感動ですよ!」。長年営業畑を歩いて来たお父さんは、「今の農業の流通は、おかしいと思います」とも言います。今年は、雨と風で流れ出した土を畑に戻す作業で毎日泥だらけになりましたが、体力不足を実感。この冬は茨城に戻り、体力づくりを兼ねて郵便配達のアルバイトをすることにしました。よき理解者を得て、矢口さんも心強いことでしょう。

この日、野菜くらぶの竹内が、矢口さんの畑をいっしょに見回りました。まともにできているものが少ない畑を前に、「やるべき事はやっているから、あともう少しの観察力とタイミング。しかしこの状況でうまくできていたら、俺らが困るくらいだ」と言います。さらにしばらく畑を見た後、「矢口! 冗談抜きで、来年は正念場だな! 農業を始めて早いうちにこういう体験をしたのは、よかったかもしれない。来年の準備は、もう始まってるんだぞ。おまえ、これ乗り越えたら、劇的に変わるぞ!」

今年、矢口さんは沖揚平で冬を越します。積雪3~5メートル、吹雪くと1メートル先も見えなくなるという沖揚平で、「人間、生きようと思えば北極でも南極でも、どこでも生きられるんですよ。食べものさえあればね」。すごい覚悟です。「ここは自然環境は厳し まもなく雪に閉ざされる いですが、そのぶんいいものが収穫できるのはわかっています。自然と共存しながら、いいものを作っていきたいと思っています」。来年こそ、いいレタスを出荷したい。その準備はもう始まっています。

'09.10 米田玲子


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