情熱!農業人独立ストーリー 独立支援プログラム先輩たちの道のり4 第5期生・深川知久物語「IT産業から農業へ」

コテコテの理系で、「地球は温暖化していない」

畑仕事の力強い味方
ウェアにもこだわりを持つ

静岡県、菊川市。県の西部、「菊川」の中流域に広がるこのあたりは、典型的な太平洋側気候。特に冬は日照時間が長く、きわめて温暖な地として知られます。独立支援プログラム第5期生の深川知久さんは平成19年に研修をスタート、2年の研修期間を終えて、21年(株)ソイルパッションを設立しました。平成23年現在、冬はレタス、夏は枝豆やトウモロコシを生産しています。

深川さんは富山生まれ。技術系サラリーマンの父と小学校の先生の母、妹の4人の家族に囲まれて育ちました。幼少時代は「すごく泣き虫だった」という深川さん。「考え込んでしまうタイプで、繊細だった」とも。細身ながらも筋肉質で均整のとれたスタイルに、ときおり浮かべるシャイな笑顔。そんな現在の深川さんに、ナイーブな子供時代の姿がオーバーラップします。中学、高校時代はソフトテニスに没頭。高校ではインターハイにも出場し、部長も務めました。ここで学んだ人との接し方や人間関係の築き方が、農業法人を経営していくうえで、とても役立っているといいます。

技術職だった父の影響もあり、「コテコテの理系」だったという深川さんが、農業に関心をもったのはなんと小学生のとき。地球温暖化をテーマにグループ研究したことが、きっかけでした。研究の結果深川さんたちは、地球は温暖化していないという結論に。しかし担当の先生はその結論に納得せず、とても悔しい思いをしたとい これがおしゃれな農業だ! います。「結論が出ていることを調べても、おもしろくないじゃないですか。どんな答えになっても、自分が正しいと思う結論を突き詰める。それが科学だと思っていましたから」。このころから深川さんは、研究職につきたいと考えるようになりました。


地対空ミサイルからの攻撃を避けて、生き延びる…!?

ただスタートは農業というわけではなく、環境問題を勉強したかったといいます。森林破壊でもCO2対策でも、「植物を増やすとか、植物をどう育てて砂漠化を防ぐかとか、基本は植物に関わってきますから」。深川さんは北海道大学に進み、農業工学を学びます。農業工学とは、農業に関する課題について土木工学や機械工学を応用して研究する分野です。

学業のかたわらテニスも続け、さらに仲間と音楽バンドを組んだり、インドや中近東への旅を重ねるなど、学生生活をおう歌します。時代が大きく変わっているときでした。タリバンが倒された翌年にはヨルダン、シリア、イスラエル、イラク、トルコ、イラン、アフガニスタンなど、安全が保証されない国々も訪れています。乗った飛行機が地対空砲ミサイルからの攻撃を避けるために、着陸時に回転しながら高度を下げるという体験もして、深川さんは「人間はなんとでもなる。どんなに大変でもなんとかなる」という自信を得たといいます。

農業工学の研究にも熱心に取り組み、大学院で修士課程まで進みます。大学に残り研究を続ける選択もありましたが、深川さんは大手IT企業に就職します。大学で研究してきた農業工学の一分野である精密農法の実用化に向け、具体的なパッケージを作るのが仕事でした。顧客はJAの金融関係で、農業での新規ビジネスを開拓するのが役目です。しかし農業法人や農家とディスカッションを重ねるうちに、深川さんの心には大きな疑問が生まれます。「今、農業に本当に必要なのは、機械工学やIT工学を駆使した管理ではないのではないか。もっと現実に即した何かが必要なはずで、ITは最後の最後のオプションでしかないのでは、と思ったんです」。


「農業に必要なのはITではない」と実践へ。「でも体力が…」

食べて確かめるのがいちばん
夏には枝豆やインゲンを作る

深川さんが野菜くらぶの澤浦社長と出会ったのは、そんな時でした。クライアントと開催した農業IT研究会に、澤浦社長が講師として招かれていたのです。その後スキーの帰りに野菜くらぶに立ち寄るなどの機会を重ね、深川さんは澤浦社長と話をするたびに農業に惹かれていきました。「それでも半年ぐらいは踏ん切りがつかず」、農業をやろうと決心できたのは平成18年8月のこと。会社を辞め研修をスタートさせたのは、年も明け、平成19年の3月になっていました。

春の2ヶ月間を静岡の塚本さんのもとで、その後夏の間、群馬の宮田徳彦さん、林美之さんのもとで、さらに静岡に戻っての研修です。しかし研修が始まって深川さんが最初に感じたのは、「うわー、これ、持つかなあ!」。「農業を楽しむどころか、体力がもたないんです(笑)」。3年間のサラリーマン生活で、学生時代に鍛えた体がすっかりなまっていました。「今では全然苦にならないことが、初めはすごく大変だった」。それでも少しずつ体を馴らし、深川さんは農作業の手順を身につけていきました。

それまでのような自分中心ではなく、作物中心の生活を考えなくてはいけない。2年間の研修を経て、「そんなことが、少しずつ自分のなかに根づいて」いきました。どんなに失敗しても誰かが受け止めてくれる、という安心感の中、それでも「夜も眠れないほど、悩んで悩んで…」対策を決めます。「自分で決めて、これがベスト 先輩に貴重なアドバイスをもらう のタイミングだと思って肥料を散布するんですが、失敗する。ありとあらゆる失敗をさせてもらいましたね」。研修がなければ今の自分はなかったといいます。2年後深川さんは(株)ソイルパッションを設立、独立します。


最初の年に最大の試練。「もうダメだ、と思った」

しかし大きな試練は、その後に待っていました。独立した平成21年、この年唯一本土に上陸した、台風第18号です。死者6名という猛威をふるったこの台風は、空高く巻き上げた海水を、海岸から10㎞以上離れた深川さんの畑まで飛ばしました。「気づいたのは翌朝。すでに塩分による被害は、取り返しのつかない状態でした」。希望に胸をふくらませて独立した直後の試練…「もう自分は終わったと思った」、と言います。

深川さんだけでなく、周囲の畑はすべて同じように被害を受けていました。ところがご近所の農家さんは、「いやあ、大変なことになったねえ」。パニック寸前の深川さんにくらべると、さほど動じた様子も見受けられません。「さまざまな体験を経てきた人たちは、強いですね」。被害を受けた農作物についても、一見ダメなようでも芯が残っていれば大丈夫など、できる対処法を教えてもらいました。おかげで11~12月にはなんとか持ち直し、量こそ予定の半分に落ち込んだものの、無事、最初の出荷もできました。

実はこの時期、実家が火事に見舞われるなど、「プライベートでもいろいろ重なって」つらい時期を過ごしたといいます。しかし深川さんはこの時期を乗り切ったことで、「ちょっとやそっとでは、動じなくなりましたね。起こったことはしかたがない。できることをしようと」。澤浦社長から「乗り越えられない試練は与えられない」という言葉をもらったのも、大きかったといいます。


従業員に、「人並みの給料を払えるようになる!」

初収穫祭の実行委員長を務める  
バンドで自慢の腕を披露する

今では社員3人、タイからの研修生2人、そしてパートさん4~5人を抱える、立派な農業者。耕地面積も初年度のレタス6ヘクタールから、今年度(23年度)はレタス6.5ヘクタール、非結球レタス4.5ヘクタールへと増えました。トウモロコシや枝豆も手がけるようになり、「なんとか食べていくくらいは、確保できたかな」という状態に。これまで「人の生活に責任を持つなんてことは考えられないくらい、ジコチューだったんですけど」、最近は自分のことより働いてくれる人たちのことを、先に考えるようになったといいます。

研修、独立を経て、ひと回り大きくなった深川さん。もちろん天候や、野菜の病気や害虫のこと、経営など、不安はたくさんあります。「でも、それ以上に楽しくて!」。農業に飛び込んだことにまったく後悔はないといいます。自然相手に植物の生長をうながし、人とともに働く農業では、「これまで勉強したことや経験したことが、いろいろな場面で役に立ちます」。また野菜くらぶや周囲の農家さんなど、「たくさんの人に支えられて、今の自分がある」と言 この笑顔が活力の源 います。ここ数年の目標は?と問うと、「お客さんに喜んでもらえる野菜を作り、その結果として、みんなに年相応の給料を払えるようになること!」。静岡のまぶしい太陽の元で、手塩にかけたレタスが輝きを放っていました。

'11.06 米田玲子


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