産地物語 静岡編 ラテンのリズムで、駆け抜けろ!2

やっと見つけた秋~春の産地は、レタスの先進的な産地だった。

倒産から生まれた、感動的な産地ストーリー。

計画はとん挫。しかし、密かにリベンジを狙う男が

事務所前で、規格外のトマトを販売
サングレイスのトマトハウス内

12月。菊川の冬はまだ暖かく、特に気温の高かったこの日は、Tシャツ姿の人も見られたほどでした。野菜くらぶが年間を通じてレタスをお客さまにお届けするため、秋から春のレタス産地を探して静岡県菊川市にたどり着いたのは平成16年。売りに出ていた大規模バラ園をその拠点にしようとしましたがうまくいかず、先頭に立って動いていた向山耕生さんが体調を崩して帰郷。残念ながら、計画はとん挫していました。しかしここに、密かにリベンジを狙う人がいたのです。

「いかんせん悔しくてね。ほかに売り渡すまでに、債権者とそれこそ小説にできるくらいのあつれきがあったから、こりゃあちょっと何かやってやろうと。それも菊川でね」と言うのは、買収しようとしたバラ園の責任者だった杉山健一さん。「バラをやりたかったけど、バラは製品になるまでに1年かかる。そんな余裕はないから、仕立てや管理方法が似ていて3~4ヵ月で出荷できる、ミニトマトにしたんです」。 ミリグラム単位で水分を与えます 杉山さんはとりあえず土地の確保できた御前崎で、ミニトマトの栽培を始めることにしました。ここで杉山さんがバラではなくミニトマトを選んでくれたのは、野菜くらぶにとって非常に幸運なことでした。

ミニトマトの一角を大玉トマトにして、試験栽培

ひとつひとつ、ていねいに箱詰め
レタスも1個ずつ包装して出荷します

杉山さんがまさにその準備に追われているとき、半年ぶりに澤浦社長から連絡が入りました。「ハンバーガーチェーンさんから大玉トマト栽培の話があったとかで、トマトを作れないかということでした。バラ園に関する2年ほどのすったもんだで、澤浦さんの発想力、行動力はわかっていましたから、二つ返事でOKしましたよ」(杉山さん)。杉山さんは早々に、ミニトマト用の一区画を大玉トマトに変更し、試験栽培を始めます。

しかし実は、こんな裏話もありました。「澤浦さんの電話の翌日、生花で知られるある会社から連絡があって、青バラの開発に成功したので生産部門の面倒をみてくれということでした。でもすでにトマトを作ると約束していたので、即答でお断りしました」。当時バラ作りでリベンジを狙っていた杉山さんの心中は、 この春出荷されるレタスの苗です 察してあまりあるものがありますが、野菜くらぶにとってはありがたいこと。一般に会社の売買では、双方が敵対関係になりやすいものですが、野菜くらぶはバラ園の買収劇を通じて、貴重なパートナーを得ることができたのです。

借りた土地で最初のレタス栽培、しかし…

まだ事務所は小さいですが…
集荷場の片隅で打ち合わせ

さて菊川には、向山耕生さんが借りた3アールの土地が取り残されていました。苦労の末やっと見つけた野菜くらぶの理解者、長谷川良一さんからお借りした土地です。借りたままにしていては申し訳ないと試験栽培をすることになり、青森で独立した山田広治さんの会社の社員、館森広志さんが、秋~春のレタスに挑戦。とはいえ技術も未熟、気候条件もよくわかっていない中で、結果は惨たんたるものでした。しかし実家で治療に専念していた向山さんは、年が明けた頃から、このレタス畑に時々手伝いに来られるほどにまで回復。レタス畑での作業は、向山さんにとって自分と向き合う手助けになったようです。

一方、杉山さんは御前崎でのトマトの試験栽培と平行して、向山さんの作りあげた人脈を頼りに、菊川での土地探しに奔走していました。地元出身という強みを生かして探すものの、しかしまたもや苦戦。見るに見かねて申し出てくれたのは、やはり長谷川さんでした。長谷川さんは言います。「いま農業は後継者がいないから、やる気のある人たちを応援しないとどうしようもないんですよ。だからいい場所を世話してあげて、『逃げるなよ』ってクギを差してきた。でも最近は力をつけてきて、去年あたりから土地を申し出てくる人もいるみたいで、よかったよ」。

この時点で借りられた土地は、88アールでした。「それからは補助事業などの話が急ピッチに進み、もうこっちが追われるような状態。御前崎で8アールという広さで2年目のテストを行いながら、借りられそうな土地の広さも見込んで菊川で160アール、群馬で110アールのハウスの設計を 近くのハンバーガーショップの壁に するという、ちょっと綱渡りの日々でしたね」(杉山さん)。トマトでも通年出荷を計画し、静岡と群馬での立ち上げをめざしました。そして平成18年2月、杉山さんを社長とする(株)サングレイスが設立されます。

「このまま辞めては、お世話になった人たちに申し訳ない」

ブロッコリーも作っています
レタス畑の日だまりでランチタイム

その約半年後、長い療養生活を終えた向山さんが復帰します。精神的に非常に苦しい時期を送ったにもかかわらず農業の道を捨てなかった理由を、向山さんはこう語ります。「やりたかったんでしょうね、農業を。このまま辞めては地主さんたちに申し訳ないし、辞めるにしても一度はレタスを作ってと思っていました。それに僕の治療中、杉山さんは地主さんとのつながりを保っていてくれたし、研修でお世話になった本多利吉さんは頻繁に電話をくださった。長谷川さんは突然、実家に見舞いに来てくれて『待っているから』と言ってくれたんです」。たくさんの人とのパイプをさらに太くしての、再出発でした。

復帰した向山さんを待っていたのは、群馬での研修を終え、菊川でレタス栽培を始めた塚本佳子さんでした。「この子がまた、ジャングルからとれたてみたいな、迫力のある子で」というのは澤浦社長。向山さんも「いやぁ、彼女のキャラが強烈すぎて、逆に使われちゃったみたいな感じ(笑い)。 タイの人たちの力も借りています レタスはこの人に任せればいいかなって思いましたよ」。そう感じ始めた頃に、ずっと向山さんを見てくれていた杉山さんから「いっしょにやらないか」と声を掛けられ、向山さんはサングレイスの社員になることを決意しました。

ラテンののりで、新しい農業を創り出せ!

向山さん登場、「いよっ! 長渕」
タイの人たちも、大盛り上がり

現在静岡からは、トマトの(株)サングレイス、レタス主体の(株)やさいの樹、(株)ソイルパッション(両社とも、独立支援プログラム物語にて掲載の予定)の3社が、野菜を出荷しています。試験栽培から5作目となる今年、栽培面積はレタス15ヘクタール(※)、トマト1.6ヘクタール、キャベツ1.6ヘクタール、ブロッコリー1ヘクタール、ミニトマト30アールと、品目、面積ともに増えました。

昨年12月、サングレイスの忘年会には、お世話になっているお客さま、業者さん、行政の方々、従業員など総勢50名が集結。おおいに呑み、歌い、語り合い、静岡の宴会の定番、向山さんの"長渕剛"で宴会は最高潮に。続く二次会でも勢いは衰えることなく、 秋から春のレタスを、お届けします! 深夜まで若いパワー炸裂!その乗りは、まさにラテン。なにがあっても、笑って乗り越えろ!農業という世界を駆け抜け、新しい農業を創り出す、将来の楽しみな菊川チームです!

※1ヘクタールは、100アール

'10.01 米田玲子


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