産地物語 群馬編 農業への想い、野菜への想い2

野菜くらぶを作った、3人の男たち。

その生い立ちと栽培の苦労、野菜作りへの想い。

時間を忘れて話し合う日々。寝ずに畑へ

赤城山で育った3人が、同じ高校を卒業して農業の世界に入り十数年の経験を積む中で、それぞれが農業のあり方、農業の未来への不安を持つようになっていました。そんなときに澤浦の取引先から投げかけられた、「こんにゃくで無農薬ができるなら、野菜もできない?」のひと言。この言葉がきっかけとなり、仲間が集まり、野菜くらぶが誕生しました。

3人は時間を合わせては集まり、とにかくよく話し合いました。これからの農業をどうすべきか、いま自分たちは何をすべきか、将来はどんなことをしたいかなど、話すことは山ほどありました。「気づくと夜中の2時くらいになっていて、『もうこんな時間だ、ホウレンソウ採りに行かなくちゃ』『レタス採りに行かなくちゃ』って、そのまま畑に行ったりしてましたね」(澤浦)。

また、この3人という人数がかえってよかったのではないか、と澤浦は言います。大人数なら意見調整の時間もかかりますが、容易に意思の統一ができたのです。徹底的に話し合い想いをしっかり共有できたことで、野菜くらぶの根っこが形作られました。このとき31歳の林はすでに子どもも生まれ、父親から家業を継いで一家を背負う立場でしたが、「このまま続けても将来は暗い。だったら新しいことにチャレンジしたほうがいいと思って、踏み出しました」(林)。野菜くらぶ創立前に父親を亡くした竹内もまた、一家の生活を担う立場になっての船出でした。

3人のすべての畑を、いっきに無農薬に転換!!

9月、見事な群馬のレタス畑
春~夏は、青森から出荷

こうして野菜くらぶは、特定のお客さまとの契約栽培をスタートさせました。これまでのように、できた野菜を市場に持って行きその日の相場で売るという方法ではなく、いつ、どんな野菜を、どのくらいの量を、いくらでお届けするのかを、あらかじめ契約する方法です。契約した野菜はすべて買い取ってもらえるものの、お客さまの指定する方法で栽培しなければなりません。

新たに取り組んだ栽培方法は、除草剤、土壌消毒剤をいっさい使わず、化学肥料もできるだけ使わないという方針でした。「この3つをなくすのは、とても怖かったですよ。ふつうなら、草だらけになりますからね」(林)。栽培法を変える場合、野菜の様子を見ながら段階的に減らしていったり、一部の畑から試験的に取り入れていくなどという方法をとるのが一般的です。しかし野菜くらぶは違いました。「僕も澤浦も竹内も、全部の畑の作り方を変えたんです。そのへんが若かったですかね」と、林は笑います。

3人がこの決断を下した理由はこうでした。たとえば一部の畑だけを契約栽培の農法にした場合、土作りから植え付け、収穫、箱詰めなどそれぞれの段階で、一般栽培の野菜と区別しなければなりません。それでは作業が繁雑になるし、販売先も一般栽培の野菜の混入を心配するかもしれない。またたとえ半分を一般栽培して市場に出したとしても、市場は相場の上下が激しく赤字ということもあり得ます。しかし契約栽培なら栽培前に野菜の値段が決まり、 秋~春は静岡から出荷。写真は12月 契約量は買い取ってもらえるので、たとえ半分失敗したとしてもできた分は確実に収入になります。それなら栽培法を変えるリスクを考えても、大きな収入の差はないはずだ。そう考えた3人は持っているすべての畑に番号をつけ、契約栽培のほ場として登録しました。

夏の日、畑にチョウチョが束のように舞って…

いよいよ野菜作りが始まりました。それぞれの畑の標高差を利用し、竹内が春の野菜を作れば林が夏の野菜を作るなどして安定して出荷できるようにし、初めてにしては思いのほかいい野菜ができ、収穫も順調に進みました。一生懸命作ってもいったいいくらで売れるのか、採算は取れるのか、まともに生活できる収入になるのだろうか。そんな心配をする必要もなく、いい野菜を作ることに専念できる。しかも市場よりも再生産可能な価格で安定的に引き取ってもらえるため生活も安定し、3人は毎日心を躍らせて畑に向かうようになりました。「作ったものを確実に契約した値段で買ってもらえる。それが最高でしたね」(林)。

そのまま順調にいくかと思われた3年目、畑に少しずつ異変が起きてきました。ホウレンソウが黄色くなり、収量が落ちてきたのです。トマトなど、ほかの野菜にも影響が出始めました。さらにこんなこともありました。「8月に農薬を使わずにキャベツを作ったんです。そしたら1割くらいしか品物にならない。あとはみんな虫に食われ、畑にチョウチョが束のようになって舞っているんですよ。『虫を栽培している人がいるらしいね』なんていう声も耳に届いてきて…」と林は苦笑いします。

これではいけない、いくら無農薬でもほとんど収穫できず、地元の人に迷惑をかけるようではいけないと、解決策を模索し始めました。使ってよい肥料や農薬に変わる天然資材などを試したり、自然農法の指導機関に聞いたり専門家に相談したり、独自に農業書を読んだりして研究。それでもなかなか思うような成果が得られません。やはり農業には地域性があり、ついにこれは自分たちの力で解決するしかないと、"この時期にはこれが必要かもしれない""この薬は使わないとできないようだ"と、日々畑との対話を重ねながら、肥料や農薬のひとつひとつをテストし選んでいきました。

この土地に合った栽培法を探して作った、野菜くらぶの宝

赤城高原の春は最高です
昔、このあたりで野菜の積みかえを…!

農薬の影響がいちばん出るのは、使う人です。「だから自分にやさしいものが、いちばんいい。微生物農薬とか、化学農薬でも毒性の低いもの、環境にやさしいものですね」(林)。最初に使い始めたのは、有機JAS栽培でも使用可能であるBT剤でした。これを葉に散布すると葉を食べた虫の食欲が落ち、3日ほどで死ぬという微生物農薬です。このようなものを中心的に使いながら、さらに地道な作業を続け、少しずつこの地に合う栽培管理法を見つけ出していきました。

土質、水はけ、日当たり、風の向き…畑は、ちょっとした条件の違いで栽培法が異なってきます。地形の複雑な日本では、一枚一枚の田畑で異なると言っても過言ではありません。この土地に合った肥料や農薬を選び出すという作業をしたことをきっかけに、野菜くらぶは独自の栽培基準を作り始めました。それは現在も続けられ、年3回、野菜別に使用できる薬剤の見直しを行っています。「最初は薄っぺらなものだったけど、それが今はりっぱな厚さになった。みんなで話し合いながら作った生産者のルールだから、これは野菜くらぶの宝だね」(竹内)

一方で3人は、新たな取引先の開拓を怠りませんでした。「よく澤浦と林さんと駅で落ち合って、営業に行きましたよ、東京の有名デパートなんかもね。早朝収穫してからだから、寝るか寝ないかだった。今だって楽しいけど、野菜くらぶに行くのも、畑に行くのも、お客さんと話すのも、寝るより楽しかったね」(竹内)。こうした営業活動や口コミで販路は少しずつ拡大し、3年後には仲間を8人に増やすことに。さらにその翌年には、大手ハンバーガーチェーンのモスバーガーさんとの取引も始まり、その契約のために16名の生産者が加わって、「有限会社野菜くらぶ」へと発展しました。

この頃、栽培に必死だった男たちを支えていたのは、両親や妻などそれぞれの家族でした。竹内によれば、「お袋もがんばってくれたし、かみさんも上の子が臨月になるまで仕事してましたからね。それは、今だに言われますよ(笑い)」。 毎年大勢のお客さまをお迎えします それは林、澤浦も同じで、野菜くらぶの事務仕事も澤浦の妹や妻が担っていました。また集荷に来るトラックに荷積みする場所がなく、トラックの時間に合わせてみんなが野菜を運び、野菜くらぶの前で積むという状態でした。

『人づくり、土づくり』-力のある野菜を作り続けたい

真っ赤に熟したトマトをお届けします!
栽培品目は約40にもなります

この土地に合った栽培法を見つけ出した野菜くらぶは、順調に業績を伸ばし、5年目には予冷庫と集荷施設が完成。トラックの時間に合わせることなく、いつでも野菜を運び込めるようになって、作業の負担もだいぶ軽減されました。成長するにつれ、家族だけでは仕事をさばききれなくなり、平成10年に最初の社員として毛利嘉宏(現取締役事業本部長)が入社します。ここに至って、野菜くらぶは会社としての形が整いました。

いま野菜くらぶのメンバーは、よく生産者の畑を訪れます。契約栽培は契約量を出荷しなければならないため、数量を合わせるのが難しいためです。曜日を決めるなどして各品目の部会ごとに畑を周り、管理方法や収穫日の読み方などのアドバイスをします。人の畑を見ることは自分の勉強にもなります。「昔の篤農家の技術は門外不出で、人々はその技術が欲しくて一升瓶を下げて通ったそうですが、野菜くらぶではその技術が数年で得られる。これはすごいことですよ」と林は言います。

竹内は7年前に体を壊し、約3年もの間ほとんど寝たきりの状態になりました。いま日常生活に不自由のないほどまでに回復したのは、「やっぱり家族ですね。かみさんや子どもがいたから、つらさを乗り越えられた」。また当時は、野菜くらぶを辞めようと思ったといいます。「ふつうサラリーマンなら首だし、農家なら廃業ですよ。なのにそのままでいいって言ってくれて、家族の作った野菜を竹内功二の名前で世に出してくれた。こんなにありがたいことはないですよ。野菜くらぶやっていてよかったなと、つくづく思います」と、うっすらと涙を浮かべて語ります。

さらにここまで元気になれたのは、 仲間の作った野菜のおかげでもあると言います。「みんなが丹精込めた野菜を持ってきてくれた。 心を込めて作った野菜には力があるんです。心を込めるのは人だから、野菜づくりは人づくり。だから野菜くらぶの『人づくり、土づくり』という言葉は、深い意味があるんですよ!」。こんな野菜を作り続けたい。それが野菜くらぶ全員の願いです。

●トップの写真は、夏の本社全景

'10.03 米田玲子


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