わたしたちが独立支援プログラムを
始めた理由は、2つあります。
ひとつのきっかけは、一人の青年です。グリンリーフ(野菜くらぶのひとつの生産法人)で働いていた青年が突然「辞めたい」と言い出し、最高の条件を整えられた地に移住してチャレンジしたものの、1年で夢破れた出来事。自治体では補助金をもらって畑の整備事業をしますが、整備した土地で畑を作る人がいないと次の補助金がもらえないため、給料や住居などの条件を整えて人を集めるところがあります。
しかし何の経験も知識も技術も持たない人が、突然知らない土地に行って、どうやって農業をするのでしょう。地元の人たちが努力しても生活できず見放した土地なのです。病害虫などの問題を乗り越えてうまく生産物ができたとしても、それをどこに売るのか。販売のルート、そしてそれを翌年も続けられる保証はあるのでしょうか。農業を続けるには、栽培から販売までの一貫したマネジメントサイクルの確立が不可欠なのです。
「農業」という言葉には一見のんびりした響きがありますが、実はさまざまな能力が要求されます。土の状態を判断する、気候の変化を読む、野菜の出来をみる。野菜ごとの品種特性や栽培技術さえも、年によって、また気候の変動によって変化します。多くの作業は待ったなしで行わなければならず、作業が夜中におよぶことも日常的です。そういう意味では自律が求められ、心も含めた研修が必要なのです。
わたしたちは首都圏へのアクセスがよく、冷涼という土地柄を生かして、長年レタスを作ってきました。しかしこのところの温暖化の影響を受けて夏のレタスの出来があまりよくなく、お客様にご迷惑をおかけすることが出始めていました。そんなあるとき取引先から、「野菜くらぶさんは個々の生産者は努力しているようですが、会社としては何か安定供給に努力しているのですか?」という質問を投げかけられました。
この言葉は、会社を動かしました。組織として何かをしなければならない。生産者の努力は精一杯。ならば、ほかの土地を探そう。たどり着いたのは、「適地適作」。育てやすいところで元気に育てるという、農業の基本でした。
冷涼な気候の土地を探して、全国行脚が始まりました。まずは隣県の長野へ。標高が高いので有利ですが、近いだけに天候の違いがなく、同じ時期に雨が降ります。標高差がだめなら緯度を上げようと、北海道へ行ってみました。しかし海を越えると輸送コストがかさみ、配送時間による鮮度の落ちを考えると、お客さま向けの野菜を作るにはリスクがあります。 では本州の最北端は? 群馬の当社周辺と地形が似ていて、標高差を利用できるという条件で探し見つけたのは、青森、八甲田山の山麓でした。標高50mあたりが群馬と同じような気候、車で20㎞走ると標高が700mくらいに上がります。関東が雨のときには青森は晴れと、天候の点でも申し分ありませんでした。
さて、栽培地は決まりました。では、誰が行くのか。群馬の生産者はみな自分の土地を持ち、そこを離れるわけにはいきません。ならば農業をやりたいという人たちに行ってもらおう。農業に必要な技術、畑、資金、販路はある、あと必要なのはやる気のある人たち。その人たちに野菜くらぶの栽培方法をマスターしてもらい、野菜を栽培してもらおう。こうして平成12年、研修制度が動き出しました。
これまでに16名の研修生を受け入れ、すでに青森で3人、静岡で2人、群馬で2人と、計7人が独立し、今後も研修生達が巣立っていきます。わたしたちは誰もが働きやすい環境を作り、農業の道へ進む人たちを増やしていきたいと考えています。新たな就農者が日本全国で、わたしたちの野菜を求めていただいているお客さまと地域農業のために働いてくれることを、夢見ています。